もう一人の弟

私には弟が二人います。実は今月17日は、もう一人の弟の命日でした。

私の愛すべき兄弟は、長女の私、長男の弟、一応三男に当たる弟、二女の妹…そして早くに亡くなったのは、三男の弟と双子で産まれた二男の弟です。私が小学校1年生の冬の終わりの2月28日(あの日は土曜日でした)学校から帰ると「赤ちゃん産まれたよ!しかも双子だよ!」もう、うれしくてうれしくて…。

さっそく産院に連れて行ってもらい、小さな2つの布団に並んで寝かされた小さな赤ちゃんの顔を代わる代わる眺めたことを子どもながらに覚えています。「清く明るく」ということで、「清」くんと「明」くんと名付けられた弟たち。昔は先に生まれた方が弟、後から出てきた方が兄と言われていたこともあったようですが、一応先に出てきた清くん(4500グラム)少し遅れて明くん(2900グラム)(今ではありえないくらい大きかった!)

どうやらお腹の中で明くんは清くんにだいぶ押されていたようで、生まれた時、心臓が左ではなく真ん中にありました。さらにはしばらくしてもおっぱいの飲みが悪いとのことで、保育器に入れられ、鼻から管を通してミルクを飲まされていたようです。結局母と一緒には退院できず、明くんだけは病院に居残り。



それから約5ヶ月、夏休み前の蒸し暑い夜でした。バタバタと両親が出かけ、代わりに近所のおばさんが留守番に。子どもながらに何か非常事態なのだとは思いましたが、眠かったので寝ていました。夜中に物音で目を覚ますとおばさんが「清くん死んじゃったの」と。

「え?」子どもだったので、それは大変なことなのだろうとは思いましたが、どうしたらいいのかよくわからず、こういう時は悲しんで泣くべきなのだろうか?とか思っていると、おばさんがいろいろなところへ電話をかけ「清くんが亡くなりました」と連絡しはじめ…それを黙って布団の中でじっと聞いていました。翌朝冷たくなった清くんを抱きかかえて両親が帰ってきました。あの時、車から降りてきた母の沈んだ顔を今でもはっきりと覚えています。

私はそのまま学校へ登校したのですが、担任の先生に「弟が死にました」と言いに行くと、「犬の弟でも死んだの?」と言われたので「私の弟です」と言いました。2年生になっていた私は当時の担任から嫌われていたらしく、何かと標的にされ、その後、クラスのみんなの前で「さっき脇田(旧姓)さんが『弟が死にました』と言いに来た。犬の弟かと思ったら本当の弟だって。残酷やねぇ」

それを聞いて(何が残酷やの?そんな失礼な言い方あるか!)と思ったのですが、何せ小学2年生です、黙っているしかなく本当に悔しい思いをしました。弟が死んだというだけでも本当に動揺してるのに、追い討ちをかけるかのような言いぐさ…もし今そんな教師がいたら絶対出るとこ出てやります!!油性ペンで顔に字を書かれて廊下に立たされたこともありました。悲しくて悔しくて泣きながら顔を隠して立っていると、他のクラスの池田先生という先生が「どうしたの?」と声をかけてくれたのですが、どうしてくれるわけでもなく「ごめんなさいって謝って許してもらいなさい」と言って行ってしまいました。話がそれましたが、弟が亡くなった時のことを思い出すと必ずあの時の担任が出てきます。

お葬式には親戚の人やいとこがたくさん集まり、本当はいけないんだけど少しうれしくて抑えてはしゃいだ覚えもあります。ところが、子どもが先に死んだ時、親は火葬場へ行ってはいけないとのことから、私と長男の弟が祖母について霊きゅう車に乗っていきました。初めての経験だし、両親はいないし、さらに昔は、今とは違って遺体を焼くと煙突から煙が上っていて…もう待合室にいても怖くて怖くて。あの夏は何とも言えない胸の苦しい思いをしました。

それからしばらくは近所の人が「明くんかわいそうやったね」と口々に声をかけてくれました。(産まれた時弱かった明くんの方が亡くなったと勘違いしている人が多かったのです)4500グラムもあって本当に元気で丸々としていた清くんなのに、夕方に高い熱が出て、医者へ行くと急性肺炎と言われて、あっけなくその晩のうちに亡くなってしまったのだと後から聞かされました。



17日の夜、三男の弟からメールがきて「今日は清くんの命日ですね」と。産まれた時弱かった明くんも、心臓が真ん中にあるまま元気に成長し、今では2児の父、インドに単身赴任をしています。彼は私たち兄弟の中でも何倍も清くんへの思いは強く、毎年きっちりと追善供養をしています。

大人になってから時々、清くんがいたら今頃どうなっていたのかな?と思うことがあります。(あの時点で4人兄弟だから間違いなく妹は産まれていなかったでしょう)さらにはもしかしてもう誰かのところに生まれ変わってる?とか。三男の弟のところは二人とも男の子で、特に上の長男とはすごく仲良しらしく…もしかしたら、あの子が清くんの生まれ変わり!?とか考えたりしています。

あれからうん十年、毎年7月17日が来るたびに「清くんの分まで精いっぱい生きさせてもらおう」とお誓いしています。亡くなった人へのご供養は、残された者が精いっぱい生きること、それに尽きると思っています。

もしかしたらあの世で清くんが「おねえちゃん、もっとしっかりしてよ!!」何となくそんな声が聞こえるような気もします。ごめんね、清くんを思ったらもっとしっかりしなきゃ!心新たに誓った次第です。











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  1. 2011/07/25(月) 15:47:45|
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ドクターイエローを追いかけて

七夕の前日、鉄道友達から「明日ドクターイエローが走行する予定!」と聞き、居ても立ってもいられなく、何としても見に行こうと思ったのですが、ふと、せっかくだから甥っ子を誘ってみようと妹に連絡。すると「明日は旦那さんも休みだから一家で行くわ!」というわけで、昨日は4人でドクターイエローを見に行ってきました。こういうことは、前回のディズニー同様すぐに話がまとまります。

ドクターイエローとは、正式名称は「新幹線電気軌道総合試験車」新幹線区間で、線路のゆがみ具合や架線の状態、信号電流の状況などを検測しながら走行し、新幹線の軌道・電気設備・信号設備を検査するための事業用車両の愛称でです。(ウィキペディアより)のぞみなど営業列車と同じ形の黄色い列車で、月に3回にしか走らないので、なかなかお目にかかれず、運よく遭遇するといいことがあると言われている「幸せの黄色い新幹線」です。

7、8年前に清須のキリンビール工場の南を走っていたら、目の前を黄色い新幹線が走り抜け…(え?何??)思わずJR東海に電話して尋ねたら「あれは、ドクターイエローと言って線路などを検査する特別な列車です」と親切に教えてくれました。(疑問に思ったことはすぐに電話するところが全くもって私らしい)

それ以来なかなか遭遇することはなく、3月にオープンしたリニア鉄道館にも展示してありますが(しかも0系の古いタイプ)、やっぱり止まってるのではなく、走っているのを見たいので。

さて、昨日は上りの運転で、名古屋駅17:12着との情報に、名古屋駅の一つ手前ローカルな枇杷島駅で見ることにしました。最近枇杷島駅は新しくなり、ガラス張りの高架通路があり、しかも東海道線と新幹線が並走しています。アオキスーパーの屋上駐車場で見ようかとも話したのですが何と言っても昨日は雨模様。2歳児を連れて傘をさしていては撮影もしにくいだろうということで、駅の通路にしました。

しかし、友人が「今日は九州、山陽方面は雨が強いので、もしかすると走行しない、遅れる可能性もあるから」と念押してくれましたが、出かける前にJR東海のサイトで調べても、通常運転と書いてありましたので、絶対大丈夫だと信じて出かけました。

さて、保育園帰りの甥っ子と妹夫婦と4人で待つことしばらく、何本も在来線や新幹線が走っていき、そろそろかな~と思っていたら、北の方からライトが見え「来たーーーーっ!」ドクターイエローです。一瞬で走り抜けていきましたが、間近で見られて大感激~!!

お仕事帰りの人たちが行き交う夕方の駅で、4人で盛り上がりました。あ~かっこよかったな~^^感動も冷めやらぬうち、お互い夕飯の支度に即、解散。今回は上りを見たけれど、きっと枇杷島駅では下りの方が、よく見えそう…次回は今月15日、また行こうかな。


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  1. 2011/07/08(金) 08:15:58|
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