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高校時代の恩師を訪ねて

私にはずっと年賀状をやり取りさせて頂いている先生が二人あります。一人は、高校3年の担任で、大学進学も就職もしなかったので、結婚式に主席来賓として来て頂きました。仕事を始めた15年ほど前にふと、お訪ねして以来、今も親子でお世話になっています。某大手予備校の名誉校長として88歳今も現役です。

もう一人は高校2年の担任で、やはり15年ほど前に一度お訪ねした以後は年賀状のみ。先月、子育てのセミナーで、現役ママさんたちに、落ちこぼれの私をたった一人見捨てずにいて下さったその先生の話を披露してから、どうしても先生にお会いして、あの頃のことを改めてお礼を申したく暑中見舞いにその旨書きました。厚かましいお願いかと思っていましたが、先日先生からお電話頂き、時間を作って頂くことになりました。


時々書いていますが、県下有数の進学校で早々にドロップアウトした私は、皆が必死で受験勉強に励む中、まるできりぎりすのように遊び呆け、いい加減に生きていました。親からはずっと「ダメな子」と言われ続けていたし、どうせ自分はダメだからと努力もせず、半ば学校に反発する形で「進学しない」と決めていました。三者面談の時、困り果てた母に、その先生は「こいつにはね、こいつのよさがあるんですよ。勉強はしないけど、文化祭とかになると俄然力を発揮します。」そんなふうにいいところのない私を認めてくれました。

その年の冬休み、受験しないし暇だしアルバイトをしようと思って先生に聞きました。
「先生、アルバイトは申し出れば許可してもらえますか?」
「いや、家庭の事情がなければ許可は下りん。何や?アルバイトしたいんか?」
「はい」
「そうか、わかった!じゃ、がんばってやってこい!俺だけで内緒にしておくから」
「え?ありがとうございます」
「万一見つかった時は、俺が校長さんに一緒に頭下げに行ってやるからな、心配するな」

さすがの私も、こう言われたら先生に迷惑をかけてはいけないと思いました。本当に青春ドラマの中村雅俊のような先生です。

冬休みが終わった後「どうやった?大丈夫やったか?」「はい、ありがとうございます」「そうか、そりゃよかった」とたった一言、笑って去って行かれました。

3年生になると担任は外れましたが、地理の教科担任だったので、縁は続いたのですが、ある時フラフラしている私に「脇田(旧姓です)!この問題集やってみんか?これやるから、ノート1冊作って、やれたら職員室へ持って来い!答えは預かっておくから」と不意に地理Bの問題集を差し出されました。「あ、ありがとうございます」

先生が私だけにわざわざ問題集をくれた、それがうれしくて、毎日少しずつ問題を解いては職員室へもって行きました。朝、先生の机の上に置いておくと、放課後には赤ペンで採点してあり、それがうれしくて、毎日せっせと通いました。

しばらくして球技大会の日、納得いかない出来事があり、そのことを解答の下に書いておいたら、先生から「気持ちはわかるが、そう向きになるなよ」という返事がまた赤ペンで書かれていました。それで翌日は問題を解いた後に、昨日の先生のコメントに対するコメント、みたいな形で、それからは、問題の解答というよりは交換日記みたいになって、またそれがうれしくて、せっせと続けました。

受験一色の学校生活の中で、何とか自分を保ち続けられたのは、進学率や平均点を下げて、学校に迷惑をかけている私を見捨てずに先生が目をかけて下さったからです。たった一人、自分を見捨てないでいてくれる人がいる、どれだけ励みになったかわかりません。何とか卒業できたのは、その先生のおかげです。


日曜の早朝のお出かけ前に先生のお宅へお迎えに上がりました。久しぶりにお会いする先生は、髪こそ少し少なくなったものの、相変わらず中村雅俊のように、威勢がよく声も大きくて当時のままでした。短い時間でしたが、どうしてもその時のことを改めてお礼を言いたかったこと、以前先生にお尋ねしたことの答えが分かったことなど、いろいろ話しました。

先生の年齢を初めて聞いて、「えー?先生、もうそんなに??」(そういう私ももうこんなにですが)、私たちを担任されてた時はそんな年齢だったのか―と、時を経てしみじみ思い返しながら、近況報告もさせて頂くと、すごく興味をもって、面白がって話を聞いて下さり、「お前の話は、大きい声では言えんが、そこらの下手な大学教授よりよっぽど説得力あるぞ!!」と笑って下さいました。

先生は高校を退職後、某大学へ移られ、今は学部長になっておられます。だいたい管理職になるようには見えなかったのに、いつのまにか私たちの母校の校長にもなっておられました。そう言うと、「試験も何にもない、たまたまやれと言われただけ」さらには大学の教授についても「いや、たまたま声がかかって行っただけ。事務をやるのかなと思っていたら、いつのまにか学部長だよ~、ははは」

型破りで懐の大きい先生は、周囲の先生方からも一目置かれていたのでしょう。そう言うと、「いや、俺、いつも宴会とかですごくバカなことやってさ、宴会係で、それで目立ったんじゃない?」と笑ってみえました。

何にしても、俗に言う先生らしくない先生です。そういうお人柄が功を奏していらっしゃるのでしょう。

「おまえに問題集をやったことは覚えてないが、赤ペンで何か書いてたことは覚えとるぞ。そう言えばなぁ…」そう言って先生は懐かしい話をされました。

「おまえの後くらいやったか、学校へ来んようになった生徒がおってな、話をしに行ったことがあるんや。
いろいろ話しとったら『野球が好き』って言うやないか(先生は大のドラキチでした)、それならと思って、何回か当時の中日球場連れて行ったわ。
何回も行ったなぁ。そうしたら学校へ来るようになって、無事卒業したわ。」

「え?先生、自腹で??」

「そうや。今なぁ、群馬の方で看護師やって活躍しとるらしいわ」

「え?女子??」

「そうや」

まぁ何とも豪快な先生です。当時の話をしたら、お互い止まりません。楽しい時間はあっという間に過ぎて、目的地までお送りして別れました。何でも、その後、昔の校長先生の集まりがあるんだそうで。

駅のロータリーで、ずっと私に手を振って見送って下さいました。本当に感激でした。

翌日お礼のメールをすると、早速お返事が来て、
「あの後の会で、あなたのことを皆さんに話しました。教師冥利に尽きると思いました。」
とありました。

30年経って、こんなふうに恩師を訪ねて、笑って話ができること、心からありがたく思います。今、私が子育て中のお母さん方にお伝えしているのは、この先生のことが原点だと思います。たった一人、見捨てずに気にかけてくれている人がいる、私がとりあえず道を外さずに(いえ、ちょっとずつ寄り道しながら)何とかここまで来られたのは、高校時代の先生の存在あってこそだと思います。

「また話を聞かせて下さい。今後ともよろしく」と締めくくられていたメール。あぁ、またこれからも先生に会えるのだと思うと、本当にうれしい限りです。今後もずっとご縁が続きますように。

今でもこういう先生っておられるのでしょうか。ある意味、当時はいい時代でした。














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  1. 2014/08/25(月) 10:33:21|
  2. 未分類

気持ちが伝わるということ 

お盆のさ中に、とてもうれしいことがありました。ささいな私の気持ちが先方に伝わったようで、うれしい返信を頂いたのです。

実は、先週の台風の日に、予定があったのですが、台風で前日より早々に中止、延期ではなく中止の連絡にがっかりしていました。それは、全くのプライベートですが、私、何年もかかってある資格を取ったので、とある講演会で、今後その資格を取りたい人のために、体験談を話してほしいと頼まれていたのでした。知り合いの知り合いを介しての依頼で、先方は私がどんな仕事をしているかも全くご存知なく、一個人として請け負ったのでした。

りっぱな大学教授の話が1時間、その後に体験発表が2人、しかも私は2番手、え?どうして私が後なの?年上?五十音順?とか考えながらも、15分という限られた時間、仕事ならいざ知らず、プライベートでは失敗は許されない(仲介者の面目丸つぶれ)と思い、私にしては珍しく一言一句原稿を書き、時間も計り、準備を重ねました。もう一人の方を存じ上げず、ものすごく真面目な方だったらとか、面白いキャラがかぶったら…とかいろいろ考え、その方の内容により、変更できるように、一応原稿は2種類作り、その場で決めようなどと、本当に仕事そっちのけで準備をしていました。(報酬は交通費のみ)

それなのに、あぁそれなのに・・・あえなく中止。緊張していたので、ある意味ホッとはしたのですが、それでもこれだけ時間とエネルギーを費やしたので、気が抜けて。一体これは何だったんだろう???でも、切り替えの早い私のこと、きっとこれは話さない方がいい内容だったんだ、だから止められたんだと思い、あっさりと自分と自分で苦笑いしていました。

翌日、最近仲よくなったお友だちとランチをしている時のこと、いろいろ話しながら、(あれ?話がすごくスムーズだわ、こんなに簡潔に過去のことを話せる…あ!そうか、あの原稿を書くに当たって、人生を振り返って時系列でまとめたからだわ)と気づいたのです。お友だちは私の話の要所要所で拍手をして「すばらしい!」と誉めてくれたのですが、それもそのはず、私が例の資格を取るに至ったいきさつを全部まとめて、物語風に原稿を書いたばかりだったからです。

そうか、今回は発表するには至らなかったけれど、この機会を頂いて、自分自身の半生を振り返り、今後に向けての決意などを新たにすることができた。あの時この時で出会った人、ご縁に感謝したり、忘れていたことを思い出したり、本当に貴重な時間、これはなかなかできることではない、特に忙しい毎日、そんなことをしている暇があったら、もっと別のことをしていたでしょう。

そう思ったら、自分自身大変ありがたく、この気持ちを主催者の方に一言お伝えしようと思ったのです。きっと、少しは申し訳ないと思っていらっしゃるでしょうから。

地元での事務局の方と、東京の広報の方にそれぞれ、この思いをメールにてお伝えしました。台風で中止という残念な結果になったけれども、自分の半生を振り返り、仕事の原点を見直し、今後の人生の決意表明ができ、本当にいい時間を過ごさせて頂いたと。

広報の方からは、こんなお返事を頂きました。
~~~~~~~~~~~~~
丁寧なお礼をいただき畏れ入ります。
日頃からご自身や周囲に起こるあらゆることに心を留め、
「時々」、「ことごと」を深く味わって歩んでゆこうとされていることが感ぜられ、
少し大げさですが、私自身の人生への励みにもなりました。
有難うございました。
・・・・省略・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
知性と品格あふれるすてきなお返事を頂きまして、あぁやはりこちらの気持ちが伝わってよかったなと、何ともよい心地です。

地元の事務の方からも同じようにお返事を頂いたのですが、何と!これを機会にと全く別の新たな依頼を2件頂いたのです。しかも、本当にそんな偶然ってあるの?という感じで私も事務の方も双方がびっくり!
先方はものすごく恐縮されながら、「できればFM愛知で少しお話してもらえないか?」と言われるのです。
「え?FM愛知?・・・私、時々出させてもらってます」

というわけで、まだまだ先のことですが、本名の一個人として、FM愛知で少しお話をすることになりました。

あれもこれも、感謝の気持ちを先方に伝えたいと思ったところから始まりました。気持ちが伝わるというのは本当にうれしいですね。

お盆のさ中、本当にうれしい出来事でした。(実はこれ以外にもまだうれしいことがありました。つづく…)





















  1. 2014/08/18(月) 09:30:20|
  2. 未分類

ほぼ理想的な最期

先週の日曜日、台風が通り過ぎって行った頃、伯父(母の兄)が亡くなりました。8月に入った頃から、もう間近だとは聞いていましたが、静かに息を引き取ったとの知らせがありました。

前日は、息子一家が初めて帰省し、岐阜の私の実家にも足を運んでくれ、両親にとっては初ひ孫との対面となったのですが、その翌日は兄がなくなるという、特に母にとっては、生まれ来た新しい命と去りゆく命の交差した意味深い日となりました。

伯父は昭和10年生まれの満79歳、警察職員として長年真面目に勤め上げ、その間の功績が警察庁長官に表彰され、天皇陛下にも拝謁したことがあるそうで、母にとっては自慢の兄でした。子どもの頃は何度か会ったこともありますが、結婚してからは数回会った程度、それでもいつも穏やかな口調と面もちで、いろんな話を聞かせてくれ、一緒にカラオケに行けば軍歌を歌う、そんな思い出が甦ります。

昨年末にガンが発覚、セカンドオピニオンとして東京の知り合いの医師に診てもらったところ「歳も歳だから進行は早くない」との診断に、伯父は一念発起、抗がん剤治療は行わず、自宅で療養すると決めたそうです。さらには、退職後は、地元にも多大な貢献をしていて、お役目もこなしながら、最期を見据えて、自分に課せられた使命を全うするべく東奔西走していたとも聞いていました。

身近な方々は、入院して少しでも長く生きてもらいたいと常々願っておられたそうですが、その辺りが腹の座った伯父のこと、無理なことはしたくないと拒み、あくまでも自宅で、往診してくれるお医者さんも見つけて、限りある日々を有意義に過ごすよう努力したそうです。

自由のきかない体をおして、親戚のことにも尽力し、伯父も親から頼まれてきたことを、今度は伯父が亡き後もそのことが滞りなく進むようにいろいろ手配し、我が子(私の従姉)にそれを託されたそうです。それが一段落したのが7月、伯父は最後の力を振り絞ったのでしょう。見事にやり遂げて、しばらくして旅立ったようです。

亡くなる2時間前もまだお手洗いには自力で行ったようですが、その後、自力では戻れなくなり、従姉妹たちが駆けつける前に伯母の元で息を引き取ったとのことです。従姉妹たちは「あっけない最期だった」と言っていましたが、何だかとても伯父らしい潔い逝き方だったように思いました。

私もお通夜と告別式に参列したのですが、棺の中の伯父は、本当に穏やかな顔、まるで眠っているようで、私が知っている元気な頃の伯父のままでした。手を合わせる方も口々に「寝てるみたい」と言われるくらい安らかな顔でした。

いろいろな方の最期を目の当たりにするたび、死に様はまさしく生き様だなと思うのですが、家族葬が増えてきた昨今ですが、田舎の斎場で行われた通夜と告別式、弔問の方がとても多く、伯父がいかに生前多くの方とのご縁を深めていたのかと改めて思い知ることとなりました。

告別式のさ中、導師の横で鐘を鳴らす脇師の僧侶が、とりあえずのお経が済んでお題目だけになっても途切れない弔問客に、何度も振り向き、ずーっとお題目だけが続いたくらい大勢の方が参列して下さいました。

斎場の隣に火葬場があり、皆で本当に最期を見送る時、伯母が伯父の棺に向かって深々と「ありがとうございました」と頭を下げている姿がとても印象的でした。もちろん悲しみでいっぱいでしょうけれど、配偶者を見送る時にそのようにできるなんて、きっといいご夫婦だったんだなと思います。日頃、あんまり泣かない私ですが、この時ばかりは、伯父が亡くなって悲しいというよりは、伯父の人生そのものが素晴らしかったんだろうなというところに涙がこぼれました。

それから、伯父の人徳でしょうか、今回の通夜と告別式では、久しぶりに会う親戚の方々、その中で、いろいろな話をしたり、今後の交流が深まったりする機会をもらいました。今回初めて会う新たな従弟(別の叔父が養子縁組したので)、聞けばうちの娘と同い年、そして、その従弟の子が、うちの孫と同い年、だんだん年代が広がって、誰がどの代かわからなくなりそうです。それでも、伯父や叔母や従兄弟たちの近況を聞いたり、ひんしゅく者ですが、悲しい席の傍らで歓談できて、いい時間を過ごすことができました。

一通りの式が終わって帰宅した後も、ご先祖や伯父のお蔭さまか、ありがたいことが相次ぎ、今年のお盆は本当にいい時だったと皆で感謝し合いました。

弟や妹とも、今回伯父の生き様を見ながら、いろいろ話し合い、今後、両親や伯母たちに少しでもいい時間を過ごしてもらえるように、それぞれができることをしようと誓い合いました。歳をとっても兄弟が仲がいいということは本当にありがたいです。母の兄弟もですが、おかげさまで私の兄弟は配偶者を含めて皆仲良しなので、こういう時に意見がまとまりやすくありがたいです。

伯父が見せてくれたほぼ理想的な最期、私もそれを目標に日々精一杯生きて行こうと思います。

伯父さん、本当にお疲れさまでした。ご冥福をお祈りします。




















  1. 2014/08/18(月) 07:58:59|
  2. 未分類
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